心不全研究グループの研究内容

基礎研究を通して、心不全患者個々の病態に合わせた、より精密で的確な心不全の予防・治療法を開発する

研究内容

当研究グループでは様々な病態モデル動物を用いて、病態生理学的および分子生物学的アプローチによる詳細な解析を通して心不全の病態解明を目指すとともに、新規心不全治療法の開発につながるシーズの探索を行うBasic to Translational 研究を展開している。
心不全は加齢とともに発症頻度が増加するため、超高齢化社会に突入した日本においては、心不全患者数が爆発的に増加する“心不全パンデミック”の到来は避けがたい状況となっている。約5兆円もの医療費を費やしている心疾患治療において、今後のさらなる心不全医療費の増加は医療経済の崩壊につながりかねない。こうした背景から、心不全克服のための新たな予防・治療法の開発に対する社会的ニーズは過去にないほどに高まっている。
心不全はあらゆる心疾患の終末像といえる。心疾患の発症原因は、生活習慣、遺伝子異常、加齢性変化、内分泌ホルモン動態の変動など実に多様であるが、これまでの心不全治療法は、心不全といういわば“雑多な”病態を標的として開発されたものが多い。従って、個々の心疾患の発症メカニズムを解明するという視点からのアプローチは、新たな心不全予防・治療法の開発へのブレイクスルーとなり得るものとして期待される。
当研究グループでは、以下に示すように、食事による心筋代謝の変動、糖尿病・肥満などの代謝異常、性差(特に閉経後や周産期女性に生じるホルモン変動)、老化といった様々な外的・内的因子が心臓に与える影響を、各種病態モデルマウスを用いて解析している(図1)。また、心臓における各種シグナル伝達経路(cGMP-PKGシグナル経路、βアドレナリン受容体シグナル経路、新規のGタンパク質共役受容体(GPCR)シグナル経路など)にも着目し、心不全発症の分子メカニズムの解明を目指した研究を行っている(図2, 3)。
近年では、“Precision Medicine(精密医療)”や“Personalized Medicine(個別化医療)”という概念が注目されている。我々は基礎研究を通して、心不全患者個々の病態に合わせたより精密で的確な心不全の予防・治療法を開発することで社会に貢献したいと考えている。

図1

食事による心疾患予防食の開発

 糖質制限食にはインスリン減少による心肥大抑制、糖尿病改善効果、体重抑制効果など、心疾患予防食となりうる可能性を秘めている。寄付講座紹介にも記載したが、長期疫学研究では糖質制限により心血管死が増加したことが報告されている。糖質制限ではカロリーを維持するため必然的に脂質摂取が増加する。この増加が心血管系に悪影響を及ぼし死亡率を増加させると考えられているが、詳細な機序は不明である。現在、心肥大モデル、血管障害モデル、動脈硬化モデルを用いて、糖質制限食による心血管系への影響に加え、腸管、肝臓、代謝系に及ぼす影響を解析している。本研究結果により、糖質制限食を安全に用いることで体重減少効果などの利点を最大限に生かした予防食を確立できると考えている1

糖代謝異常に伴う心不全発症機序の解明

 心不全と糖尿病は本邦のみならず世界的にも増加しており、心不全患者の30~40%に糖尿病が合併する。特に2型糖尿病に合併する心不全は収縮力の保たれたHFpEFタイプを呈することが知られているが、HFpEFに対する既存の心不全治療薬の効果は確立されていない。我々は糖尿病に合併する心不全の分子機序を多臓器連関の観点から検討し、さらにGMP-PKGの活性化やSGLT2阻害薬などの治療効果を検討することによって、その病態の解明を試みている。

老化に伴う心不全発症メカニズムの解明

 加齢に伴い心不全は増加するが、これまでにmiR34a 5pの発現亢進によるテロメア長維持機構の破綻が報告されている。また一方で加齢に伴い、慢性炎症が惹起されることがわかっている。これらを結びつけるメカニズムとして小胞体ストレス応答反応に着目している。我々は高齢者血清サンプルを用いたmiR解析、および老齢マウス心不全モデルを解析することにより、加齢による心不全発症メカニズムを明らかにし、慢性炎症のコントロールによる心不全治療の開発を目指している。

閉経後女性における心血管疾患の発症メカニズムの解明

 心筋梗塞は動脈硬化の進展の結果生じ、心不全の主要な原因の一つとなっている。女性における心筋梗塞の発症率は閉経後に急速に上昇することから、主要な女性ホルモンであるエストロゲンが動脈硬化の発症・進展に深く関わっていることが推察される。エストロゲンのもつ心血管系への保護作用については以前から注目されているが、エストロゲンの作用は非常に多岐にわたり、一部は人体に悪影響を及ぼす可能性も懸念されているため、臨床応用は未だ実現されていない。安全で効果の高い次世代ホルモン療法の開発にはエストロゲンの作用メカニズムの詳細な解明が不可欠である。
 我々は、エストロゲンのもつ複数のシグナル伝達機構のうち、エストロゲン受容体の核内移行を伴わずに作用を発揮するnon-genomic経路を特異的に阻害したマウスを樹立し、各種病態モデルにおけるエストロゲン受容体non-genomic経路の重要性を検討している。これまでに、本経路が閉経後に生じる耐糖能異常や肥満形成に関わっていることを見出して報告した2。現在はさらに、動脈硬化や心不全の形成におけるエストロゲン受容体シグナルの役割について詳細な検討を進めている。本研究により、閉経後女性における、より効果的でより副作用の少ない心血管疾患の予防・治療薬の開発に繋がるものと考えている。

周産期心筋症の分子メカニズムの解明とバイオマーカー探索

 周産期心筋症とは、妊娠中または妊娠終了後5ヵ月以内に新たに心不全が出現した疾患であり、極めて希少な疾患(日本では50-100人/年)であるが、母児の生命を脅かす難治性疾患である。現在臨床の場で用いられている周産期心筋症のバイオマーカーとして切断プロラクチンがある。周産期における切断プロラクチン血中濃度上昇が心筋周囲の血管新生を抑制することによって、心筋細胞に低酸素負荷に伴う酸化ストレスがかかり、心不全を引き起こすと考えられてきた。しかしながら、約40%の患者では切断プロラクチン血中濃度が上昇しないこと、下垂体からのプロラクチン放出を抑制するブロモクリプチンは周産期心筋症の予後を改善しないことが分かってきた。周産期心筋症はheterogeneousな病態であり、妊娠関連高血圧症を合併した周産期心筋症(以下、高血圧性周産期心筋症)と合併していない周産期心筋症(以下、非高血圧性周産期心筋症)では異なる臨床経過を辿る。近年妊娠関連高血圧症において、胎盤栄養膜細胞(trophoblast)由来のRNAが母体血中に顕著に移行すること、trophoblastには高濃度のmicroRNA(miRNA)が集積しており、低酸素負荷が加わると、一部のmiRNAは母体に移行し、臓器不全を起こすことが報告されている。我々は国立循環器病センターと共同研究をおこない、高血圧性周産期心筋症に特異的なmiRNAを母体血中から探索し、数種類のmiRNAを同定した。これらのmiRNAの標的遺伝子を同定し、周産期心筋症発症への関与をマウスモデルなどの分子生理学手法を用いて解析している。

Gqシグナル, cGMP-PKGシグナルを中心とした心不全の病態解析 (図2)

 我々はホスホジエステーラーゼ5(PDE5)阻害薬により圧負荷心不全モデルマウスの心肥大が改善されることを示し、cGMP-PKGシグナルがGqシグナルと密接な関係を持つことを報告してきた3, 4。現在注目を集めている可溶性グアニル酸シクラーゼ刺激薬はcGMP-PKGシグナルを活性化させるものであるが、cGMP-PKGシグナルによる心不全改善の詳細なメカニズムについては未だ不明な点も多い。
 アンジオテンシンやエンドセリンなどの神経体液性因子により活性化されるGタンパク質であるGqシグナルは心肥大、心不全の形成に中心的役割を果たしている。Gタンパク質の調節にはRegulator of G protein Signaling (RGS)が重要であり、RGSのうちRGS2, 4はGqタンパク質特異的に調節機構を有することが知られている。特にRGS2は末期心不全患者において左室補助装置(LVAD)の装着による心筋リバースリモデリングとの関与が報告されており、心不全・肥大の病態と強く関わっていることが示唆される。
 我々はcGMP-PKGシグナルによるGqシグナルを介した心肥大、心不全の改善効果の機序解明と左心不全、右心不全におけるシグナルの相違の解明を目的として検討を行っている。RGS2 ノックアウトマウスを用いて、横行大動脈縮窄による圧負荷心不全モデルを作成し、解析を行ったところ、RGS2はPKGによるリン酸化されることで活性化され、Gqシグナルを抑制することで心保護作用を介していることを見出した。さらにRGS2は心筋細胞のみならず線維芽細胞などにも発現していることから、現在はRGS2のコンディショナルノックアウトマウスを作成し、RGS2の標的細胞の特定、Gqシグナルに起因する心肥大のメカニズムの解明を試みている。

図2. NO-sGC-cGMP-PKGシグナルと心不全
NO-sGC-cGMP-PKGシグナルはRGS2リン酸化を介したGqシグナルの抑制、titinリン酸化を介した拡張能上昇、ミトコンドリアMnSOD活性上昇を介した活性酸素の低下などの経路により心保護的に働く。心不全ではこれらのシグナルが低下している。

急性心不全・慢性心不全におけるアドレナリンβ1受容体シグナルの役割解析

 心臓の収縮・弛緩は交感神経・副交感神経により調節されている。交感神経活性化により放出されたアドレナリン、ノルアドレナリンはアドレナリンβ受容体に結合し、Gsタンパクからアデニル酸シクラーゼを介してcAMPを産生する。このcAMP が興奮収縮連関の中心を担っている。cAMPは短期的には心機能の亢進をもたらすが、長期的には心肥大、心臓線維化といった心臓リモデリングを起こし心不全の発症に関与する。
 現在β受容体遮断薬は慢性心不全治療薬として広く使用されているが、β受容体は心筋細胞のみならず内皮細胞や線維芽細胞にも発現しており、β受容体遮断薬が慢性心不全において有効性を示すメカニズムに関しては依然不明な点が多い。さらに急性心不全におけるβ受容体遮断薬の有効性に関しては議論が分かれている。
 我々は慢性心不全におけるβ受容体遮断薬の有効性の機序解明と、急性心不全におけるβ受容体関与の有無を明らかにすることを目的として研究を行っている。我々が世界に先駆けて作成したβ1受容体コンディショナルノックアウトマウスを用いて、心筋細胞特異的β1受容体ノックアウトマウスを樹立した。本マウスを用いて、後負荷不適合急性心不全モデル、たこつぼ型心筋症モデルによる急性心不全の病態解析、また横行大動脈縮窄による高血圧性心肥大、心筋梗塞による虚血性心筋症、ドキソルビシンによる薬剤性心筋症モデルを使用し、慢性心不全における心筋細胞β1受容体の役割解析を行っている。

新規のGPCRに注目した新たな機序を介した心不全治療薬の創出 (図3)

 β受容体遮断薬などのGタンパク質共役受容体(GPCR)標的薬は心不全治療の第一選択薬である。これまで、β受容体遮断薬の心保護作用はGαタンパク質を介した有害なシグナル伝達の抑制によるものと考えられてきたが、近年、その効果はGPCRの副経路とも言われるβ-アレスチン経路の活性化が担っていることが報告された。GPCRのひとつであるCXCR7は、β-アレスチンのみを活性化するβ-アレスチン偏向性受容体であり、成体マウス心臓に発現するGPCRのなかで最も発現が高い。全身でCXCR7が欠損したマウスは心奇形により胎生致死となる一方で、成体マウス心臓におけるCXCR7の役割は不明のままであった。我々は圧負荷心不全マウスモデルを用いた予備実験において CXCR7が心保護作用を有することを発見した。そこで現在、「心筋梗塞後リモデリングにおけるβ-アレスチン偏向性受容体CXCR7の機能解明」を目的として以下の4点を明らかにするために実験を行っている5
 ①梗塞後リモデリングにおけるCXCR7機能の主座となる細胞種の同定 
 ②梗塞後リモデリングにおけるSDF1-CXCR4シグナルとCXCR7シグナルの関連
 ③梗塞後リモデリングにおけるCXCR7/β-アレスチン経路活性化の証明と機能評価
 ④CXCR7下流シグナルの網羅的解析と心不全治療標的シグナル分子の同定。

図3

多施設共同研究「胎盤形成異常に起因する妊娠時合併症の病態解明に向けた研究」について

当科は上記研究の分担施設となっております。
詳細はこちらです。

 

多施設共同研究「周産期心筋症(産褥心筋症)の発症に関する前向き研究」について

当科は上記研究の分担施設となっております。
詳細はこちらです。

 

主要論文

1. Toko H, Konstandin MH, Doroudgar S, Ormachea L, Joyo E, Joyo AY, Din S, Gude NA, Collins B, Volkers M, Thuerauf DJ, Glembotski CC, Chen CH, Lu KP, Muller OJ, Uchida T and Sussman MA. Regulation of cardiac hypertrophic signaling by prolyl isomerase Pin1. Circ Res. 2013;112:1244-52

2. Ueda K, Takimoto E, Lu Q, Liu P, Fukuma N, Adachi Y, Suzuki R, Chou S, Baur W, Aronovitz MJ, Greenberg AS, Komuro I and Karas RH. Membrane-Initiated Estrogen Receptor Signaling Mediates Metabolic Homeostasis via Central Activation of Protein Phosphatase 2A. Diabetes. 2018;67:1524-1537.

3. Takimoto E, Champion HC, Li M, Belardi D, Ren S, Rodriguez ER, Bedja D, Gabrielson KL, Wang Y and Kass DA. Chronic inhibition of cyclic GMP phosphodiesterase 5A prevents and reverses cardiac hypertrophy. Nat Med. 2005;11:214-22.

4. Sasaki H, Nagayama T, Blanton RM, Seo K, Zhang M, Zhu G, Lee DI, Bedja D, Hsu S, Tsukamoto O, Takashima S, Kitakaze M, Mendelsohn ME, Karas RH, Kass DA and Takimoto E. PDE5 inhibitor efficacy is estrogen dependent in female heart disease. J Clin Invest. 2014;124:2464-71.

5. Harada M, Qin Y, Takano H, Minamino T, Zou Y, Toko H, Ohtsuka M, Matsuura K, Sano M, Nishi J, Iwanaga K, Akazawa H, Kunieda T, Zhu W, Hasegawa H, Kunisada K, Nagai T, Nakaya H, Yamauchi-Takihara K and Komuro I. G-CSF prevents cardiac remodeling after myocardial infarction by activating the Jak-Stat pathway in cardiomyocytes. Nat Med. 2005;11:305-11.

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