疾患iPS研究グループの研究内容

心疾患を有する患者さんから作成した疾患特異的iPS細胞や、疾患モデルマウスの解析を通じて、循環器疾患の病態解明と新規治療薬開発を目指しています

背景① 現在の循環器研究の問題点

 循環器内科領域における医療用デバイスの進歩、薬物療法の発展は目覚ましく、この20年で心疾患の治療の選択肢は大きく変化するとともに、循環器疾患の予後も改善してきました。一方で一部の患者群は既存治療に不応であり、依然予後不良であることが知られています。特に特発性拡張型心筋症(dilated cardiomyopathy; DCM) や拡張相肥大型心筋症(dilated hypertrophic cardiomyopathy; dHCM)は、多くは遺伝子変異を原因として発症することが明らかになっていますが、その病態に根差した有効な治療法は確立されておらず、移植治療や人工心臓導入の主要な原因疾患となっています。
難治性疾患である心筋症に対する治療法を開発する上でのこれまでの最も大きな問題点の一つとして、倫理的・技術的問題から、ヒトの心臓組織を研究に十分な量採取することが困難であった点が挙げられます。また、遺伝子改変技術によって作成したモデル動物を用いた病態解析が行われてきましたが、種差のために病態の再現が十分でないこともしばしば経験されてきました。

背景② 遺伝子変異と心血管病

 循環器疾患の多くは高血圧・糖尿病といった生活習慣病や、喫煙などの嗜好、老化などの要因によって発症する一方で、一見これといった明確な原因がなく発症するため「特発性」とされてきた疾患群も存在しており、上述のDCM・HCMもそれらに該当します。近年、ゲノム解析技術の進歩によって、心筋症の多くはサルコメア構成遺伝子などの点変異によって発症することが明らかにされました。さらに、遺伝子変異の型によって予後や薬物療法への応答性が異なることが判明してきています。システム循環器学グループからの報告では、当院通院中の患者を含む120例のDCM患者のエクソン領域を解析した結果、ラミン遺伝子(LMNA)変異を有する患者は、DCMの最も主要な原因遺伝子として知られるタイチン遺伝子(TTN)変異を有する患者と比較して予後が悪いこと、β遮断薬を含む既存治療に対する反応が極めて悪いことが報告されました。(Tobita T et al. Sci Rep 2018)
 このように、心不全患者においても遺伝子型に基づいた疾患の再分類・予後予測が可能になろうとしていますが、これらの重症な経過をとる遺伝子型においても、遺伝子変異が高度な心機能異常をもたらすに至るメカニズムは未だに明らかになっていません。遺伝子変異が細胞機能に及ぼす影響を知るためには、原因遺伝子変異を持った心筋細胞を遺伝子発現およびその制御レベルから解析することが不可欠と考えられます。

iPS細胞について 再生医療と疾患モデリング

 上記の課題を解決するために、患者由来のiPS細胞(induced pluripotent stem cell)を利用することが期待されています。
2006年に報告されたiPS細胞は、分化した体細胞に初期化因子である4つの転写因子を導入することで誘導される人工の多能性幹細胞であり、無限に増殖する能力と、いかなる細胞にも分化しうる多能性を兼ね備えています。一方で胚性幹細胞(embryonic stem cell; ES細胞)と比べて、倫理的なハードル低く樹立できる点、由来となる体細胞のゲノムを引き継いでいる点が特長に挙げられます。
 iPS細胞を疾患治療へ応用する手法として、分化誘導した細胞を直接罹患臓器に移植する「再生医療」が最も注目を浴びており、2018年末現在、加齢黄斑変性症とパーキンソン病を対象とした臨床試験がすでに実施されています。
 もう一つの重要な可能性として、iPS細胞を「疾患モデリング」に用いる方法が挙げられます。原因遺伝子変異が同定されている患者からiPS細胞を樹立し、そのiPS細胞を心筋細胞に分化させれば、患者の遺伝子変異を保持した異常心筋細胞を入手することが可能となります。疾患患者から樹立したiPS細胞株は特に「疾患特異的iPS細胞」と呼ばれており、心疾患特異的iPS細胞から分化誘導した心筋細胞は患者の心臓で生じる異常の一部を再現していることが明らかになりつつあります。疾患特異的iPS細胞を健常者由来iPS細胞と比較することによって細胞の機能異常が出現するメカニズムを解析することができ、さらに同定された細胞の機能異常を是正する化合物を探索することによって、治療薬候補のスクリーニングを行うことが可能となるのです(図1)。我々は、目下この「疾患モデリング」の目的で疾患特異的iPS細胞を作成し、研究を行っています。

図1. 疾患iPS細胞を用いた研究の流れ
患者から誘導したiPS細胞は特に「疾患特異的iPS細胞」と呼ばれます。遺伝子変異既知の患者から樹立したiPS細胞を心筋細胞に分化誘導させれば、疾患責任遺伝子変異を有した疾患心筋モデルとして扱うことができます。疾患モデリングによる病態解明、創薬が期待されています。

疾患iPS事業

 当グループでは、2013年度以降、科学技術振興機構「再生医療実現拠点ネットワーク事業」の一環である「疾患特異的iPS細胞を活用した難病研究」の研究課題の一つとして、「iPS細胞を用いた遺伝性心筋疾患の病態解明および治療法開発」プロジェクトを実施中です。
2017年までの事業で、我々は複数の家族歴を有する心筋症患者、および遺伝性不整脈患者から血液を採取し、遺伝子解析と単核球からのiPS細胞樹立を行いました。HCM, DCM, Noonan症候群、拘束型心筋症、不整脈源性右室心筋症等の患者から、計50株に及ぶ疾患特異的iPS細胞株を樹立して公的細胞バンク(理研バイオリサーチリソースセンター)に寄託し、さらにこれらの細胞を心筋細胞へ分化誘導し、細胞の異常表現型を軸として化合物スクリーニングを実施してきました。例として、HCM患者由来のiPS心筋細胞は細胞面積が大きいことを見出し、製薬企業と共同で細胞面積の縮小を指標とした化合物のスクリーニングを実施しました(図2)。

図2. 疾患特異的iPS細胞を用いたスクリーニングの例
肥大型心筋症患者から樹立したiPS由来心筋細胞は、健常者由来のiPS由来心筋細胞よりも細胞面積が大きい傾向を認めました。細胞面積を指標とし、心筋細胞の肥大を抑制する化合物候補のスクリーニングを実施することが可能です。

 2017年度以降はAMED「再生医療実現拠点ネットワークプログラム(疾患特異的iPS細胞の利活用促進・難病研究加速プログラム)」のもと、心筋症の中でも特に予後の悪いDCMに着目し、遺伝子変異が心筋細胞異常を引き起こすメカニズムの解明を目標として国立成育医療研究センターおよび東京女子医大と共同研究を実施中です。
本事業では、DCMの中でも予後不良な遺伝子変異、我々のグループにより新規に同定された遺伝子変異を有する患者からiPS細胞を樹立し、解析を進めています。システム循環器病学グループですでに確立された、心筋細胞の遺伝子発現の変化やエピゲノム変化を1細胞ごとのレベルで解析する「1細胞トランスクリプトーム解析」を疾患特異的iPS細胞サンプルに応用したり、iPS細胞から心筋細胞シートやチューブを作成して張力や内圧変化を測定する「三次元心筋組織モデル」を構築したりすることによって、全く新しい解析手法での疾患特異的iPS細胞の解析を実施中です。また、CRISPR/Cas9によるゲノム編集技術を用い、iPS細胞に疾患原因遺伝子変異を導入・修復することで、遺伝子変異と表現型異常の因果関係をより明確に把握しようと努めています(図3)。
本事業ではすでに、ある遺伝子変異型を有する患者に共通する細胞の異常をいくつか見出しています。今後、DCMの心筋細胞の遺伝子発現・機能に異常が出現する過程を明らかにするとともに、得られた知見に基づく創薬のためのスクリーニング系構築を目標としたいと考えています。

図3. 疾患特異的iPS細胞を用いたDCM研究
システム循環器学グループ、東京女子医大、成育医療研究センターと協力し、遺伝子変異を有するDCMの病態解明に取り組んでいます。1細胞トランスクリプトーム解析、心筋シート作成などの高度な技術を集結した、集学的なプロジェクトを実施中です。

主要論文

Characterization of a small molecule that promotes cell cycle activation of human induced pluripotent stem cell-derived cardiomyocytes. Ito M, Hara H, Takeda N, Naito AT, Nomura S, Kondo M, Hata Y, Uchiyama M, Morita H, Komuro I. J Mol Cell Cardiol. 2019 Mar;128:90-95.

Cardiomyopathy with LMNA Mutation. Ito M, Nomura S. Int Heart J. 2018;59(3):462-464.

Phenotypic Screening Using Patient-Derived Induced Pluripotent Stem Cells Identified Pyr3 as a Candidate Compound for the Treatment of Infantile Hypertrophic Cardiomyopathy. Sakai T, Naito AT, Kuramoto Y, Ito M, Okada K, Higo T, Nakagawa A, Shibamoto M, Yamaguchi T, Sumida T, Nomura S, Umezawa A, Miyagawa S, Sawa Y, Morita H, Lee JK, Shiojima I, Sakata Y, Komuro I. Int Heart J. 2018 Sep 26;59(5):1096-1105

Generation of Fabry cardiomyopathy model for drug screening using induced pluripotent stem cell-derived cardiomyocytes from a female Fabry patient. Kuramoto Y, Naito AT, Tojo H, Sakai T, Ito M, Shibamoto M, Nakagawa A, Higo T, Okada K, Yamaguchi T, Lee JK, Miyagawa S, Sawa Y, Sakata Y, Komuro I. J Mol Cell Cardiol. 2018 Aug;121:256-265.

Generation of Induced Pluripotent Stem Cells From Patients With Duchenne Muscular Dystrophy and Their Induction to Cardiomyocytes. Hashimoto A, Naito AT, Lee JK, Kitazume-Taneike R, Ito M, Yamaguchi T, Nakata R, Sumida T, Okada K, Nakagawa A, Higo T, Kuramoto Y, Sakai T, Tominaga K, Okinaga T, Kogaki S, Ozono K, Miyagawa S, Sawa Y, Sakata Y, Morita H, Umezawa A, Komuro I. Int Heart J. 2016;57(1):112-7

   このページの先頭へ