研究内容
慢性的に遷延する炎症が心血管系疾患をはじめとする様々な難治性疾患(癌、感染症、自己免疫性疾患、神経変性疾患、老化関連疾患など) の病態に悪影響を及ぼすとの報告が相次いでいる。よって炎症状態の惹起・収束の背景にある分子機序の解明は現代医学においてきわめて重要な課題である。
古くから抗炎症薬として使用されているアスピリンがシクロオキシゲナーゼ(生理活性脂質の産生に必須な酵素)阻害を介してその薬理作用を発揮することから示唆されるように、生理活性脂質は炎症において重要な役割を果たしている。例えば、古典的な炎症性生理活性脂質であるエイコサノイド群(ロイコトリエン、プロスタグランディン類)はomega-6脂肪酸であるアラキドン酸を前駆体として生合成される。また対照的に、エイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)などのomega-3脂肪酸からはResolvin, Protectin, Maresinといった抗炎症作用を有する生理活性脂質群が産生される。これはomega-3脂肪酸を含む食事(魚油など)を多く摂取する人は、炎症を基盤とする疾患になりにくいとの疫学コホート研究の結果と合致する知見であり近年注目されている。実際、その抗炎症作用を期待して高濃度のEPAやDHAを含む健康補助食品が数多く販売され、それぞれ一定の効果を示している。しかし、EPAやDHAの摂取によってもたらされる抗炎症効果の分子基盤が未だに完全には理解されていないことをはじめとし、炎症の惹起・収束のメカニズムには未知の領域が数多く残されている。
生理活性脂質の前駆体である遊離脂肪酸は細胞膜から酵素によって切り出される段階を律速として産生される。切り出された遊離脂肪酸は多種多様の酸化酵素群によりさらに代謝され系統分枝した複雑な分子種を生み出す。生理活性脂質はこの中の微量成分として存在するため、生体試料から直接抽出した脂質画分を単純に逆薬理学的手法を用いてGPCRライブラリー上でスクリーニングしても新規脂質性リガンドを単離精製出来る可能性は低い。また網羅的疾患リピドミクス解析からリガンド候補分子を決定し、その分子を人工合成した後にGPCRライブラリー上でスクリーニングするというアプローチも考えられるが、数多くの候補分子全てを人工合成することは事実上不可能であり、またリピドミクス解析の性質上候補分子は標品のある既知分子(受容体は未知であるとしても)となる。
そこで我々は、大量の標品を安価に入手することが可能な脂肪酸(例えばDHAやmonohydroxyDHAなど(図1を参照))を基質として患者由来の細胞サンプル(例えば患者由来の好中球やマクロファージなど)や株化細胞(活性化させたマクロファージ系細胞株や血管内皮細胞株など)などと一緒に培養する系を着想した(図1)。すなわち、共培養系に添加された基質が共培養される細胞に内在性に発現している多種多様な酸化酵素群により代謝されることで、既知、未知を問わず様々な生理活性脂質候補分子が共培養系内で産生されてくる。共培養後に培養上清および培養細胞成分から一緒に脂質画分を固相抽出すればそれは複雑多様な分子種を有するGPCRライブラリースクリーニングに適した脂質粗抽出画分となる。添加する基質成分、共培養に供する細胞や生体試料、共培養条件などのパラメーターの組み合わせはいわば無限であり、それらを変化させることで当然最終的に産生されてくる生理活性脂質分子のプロファイルも変化する。また調整するサンプルのバッチ間での再現性、スケールアップの容易さ、汎用性、実験コストの点でも、生体試料から直接脂質画分を抽出する従来法より格段に優れている。
我々のグループは、このユニークなサンプル調整方法と逆薬理学的GPCRライブラリースクリーニングを組み合わせるという新たなアプローチを通じて、新規脂質性GPCRリガンドの同定にチャレンジしている(図1)。